第13話 トンチンカン先生、上海・南京・徐州の旅
中国への旅は、環境技術指導という仕事の旅でした。しかし、仕事の旅でも、一応、予備日というものがあり、その日は1日中観光をして楽しみます。それでは最近出張しました中国旅行のお話しをします。
セントレアから旅立ってものの2時間と少しで上海の浦東(プートン)空港へ降り立ちます。空港はやや薄暗いという印象です。しかし大勢の人たちでごった返し活気がありました。その後、例の中国新幹線で南京へ移動します。空港から上海中心部までは渋滞、その後はそれほどでもない渋滞で上海の新幹線駅『虹橋駅』に着きました。上海の郊外に国内線用と思われる空港と隣接して設置されています。それから約2時間の旅で南京につきました。南京の中心部には玄武湖という大きな湖があり、その下を自動車専用トンネルが掘られており、ひっきりなしに自動車が貫通しています。やることが大きい。さすが中国と思いました。
上海中心部
写真―1 空気が汚れているので日中でも薄暗い上海の中心部
その日の歓迎会は有名なバイチュウというアルコール分47度のお酒と上海料理です。ツアーでないので本当の上海料理でして、味は日本人に合わせていなく、非常に辛い、砂糖がいっぱい使ってある様子、醤油の色が濃いなど、日本で食べる中華料理とたいへんな違いです。食材は日本とよく似ていますが料理の仕方、盛り付けの方法が全く違うのです。例えば、ニワトリの頭を真正面から左右2つに切ったものが左右対称に鏡で写したように真っ白な皿の上に載っている料理が出てきました(眼は薄目を開けていました)。載っているのはこれだけのみです。私は驚きのあまりニワトリの目と合ってしまい、かなり怖かったのでした。(怖いので写真は省略します。)
次に運ばれてきた料理は直径20センチメートルほどのナベが運ばれてきました、例の回転テーブルの上に載せられました。蓋を外したのち、順に時計回りに回しながら、みんなが箸で中のものを少しずつ取り出して食べます。何か鶏のから揚げかなと思っていましたが、なんとニワトリの足(足首から先の部分)が『あんかけ風から揚げ』になっている料理です。肉もほとんどついてなく4本ある指の部分が足首の部分から切られている『あんかけ風から揚げ』です。何だこれと思いながら箸で1つナベから取り出しました。隣にいる中国人が「これは美味しいです。宮廷では鳥の足をこの様に食べます。ニワトリの体の部分は捨てます。人民に分け与えることもあります。」と説明していただきました。へ~っ。鳥の胸肉、もも肉の方がよっぽど美味しいのに、この部分を捨てちゃうなんて信じられない、と思いながら、足を口に運ぶ(ニワトリの足のあんかけ風から揚げを私の口に運ぶ)と、これが意外や意外、想定外に、かなり美味しいのでした。足の裏側、鳥が立っている時に土と接触する部分は『肉球』という部分(犬や猫などは丸い球体になっている部分)でして、コリコリとした食感、味も良く浸みていて美味しかったのです。私は、再びターンテーブルを回し、ナベから左の足を2つ取り出し、コリコリ、ムシャムシャと美味しく食べました。
ちなみに、以前、中国大連の繁華街で中国料理のレストランへ入った時のことです。何気なく写した写真の中に、食堂入口に陳列してある食品サンプルを写した写真がありました。その値段は48元(現在、1元は10円として、480円)で、ニワトリ一匹の38元より、足の方が10元ほど高価でした。
ニワトリの足料理のサンプル
写真―2 ニワトリは左の本体(手前が顔部分)より右の足首の方が10元高価です。
次に運ばれてきた料理は、木製の料理台(花台の様なもの)に豚の右側の顔半分が横になり寝ているように載っています。むろん、産毛がない、ヒゲもなく、ほとんど白骨化したもので、相当大きなブタです。その顔の上に載っている肉片を箸で一枚ずつ取り、食べる料理です。硬さや歯触りはチャーシュー(煮豚)のようですが、やや白っぽく塩味が基本のものでした。食べていると徐々にブーチャンの歯が見えるところまで来ました。「ウヘッ~。もうこれ以上食べられない。しかし冷静に大皿にのっかっているブーチャンの歯を見ると虫歯は1本もなくきれいな歯でした。変なところに感心している自分にはっと気が付き、場違いな空想をしてしまったと下を向いてしまいました。
豚肉の料理とニワトリの足料理
写真―3 歯の部分が見える豚肉の料理、右下はニワトリの足料理
この様な訳でして、南京では酔っていなければ箸が進まない料理ばかりでした。翌日は南京で企業の人への相談・指導を行いましたが、中国人は「お金が一億元と20ヘクタールの土地があるが何か環境に関する良い(もうかる)仕事はないか。」というような雲をつかむような相談が多く、大変な相談時間でした。それにしても、漢民族は華僑といって海外へ進出するだけあって『なかなかやるなぁ~・・・。』と思いました。相談は水質汚濁防止から、廃棄物リサイクル、土壌汚染まで多義にわたっていました。その日も上海料理でした。
翌日は、列車で南京から徐州へ行きました。300Kmを2時間30分の旅です。南京を出発して10分もしないうちに、長江(旧名:揚子江)を渡ります。水面から50m以上の高さもある鉄橋を10両連結以上の長い列車が通過するのです。眼下に長江を航行する大型船を目にして、あまりにも大きな船舶の航行に感激しました。長江の河口からおおよそ700Km(蛇行しているので東京・大阪間程の距離)も上流で大型船が行き来しているのです。(写真を撮ったのですが、空気が汚れており、大きな船がボヤケてしまいました。)
長江を渡ると景色は一変します。今まで水田が続く南の国の様子でしたが、今度は、内陸部特有の小麦畑が続きます。春小麦の畑でして、芽を吹いたコムギが地平線まで緑のストライプ模様のようにズーッと続きます。一方、車窓からは川の中州で牛を洗っている老人とその横に孫と子牛が遊んでいる光景が飛び込んできます。またしばらく進むと集落の小さな広場なのでしょうか、道端でしょうか、昼間からたむろしている大人たち(男性)が何やら小さな木箱(机として用いている様子)を取り囲んでいる光景も車窓へ飛び込んできました。トランプまたは花札をやっているのかなと思いました。この様に内陸部へ行くと上海とは全く違った光景が見られました。
南京駅の人々
写真―4 南京駅で徐州行き列車を待つ人々
途中で、長州発北京行きの急行列車と駅ですれ違いました。2日ほどかけて北京までゆくのだそうです。窓の手すりには、ペットボトルや食べ物がいっぱい置いてあり、満員列車でした。中国人は力強い、ハングリー精神が旺盛などの形容詞がよく似合っていると思いました。
徐州は「麦と兵隊」という軍歌をよく父がお酒に酔うと仲間と歌っていましたので、徐州駅に降り立ったときは感激しました。「徐州 徐州と人馬は進む、徐州居良いか、住みよいか しゃれた文句に 振り替えりゃ、お国なまりのおけさ節、髭がほほ笑む 麦畑」と我ながらついつい口ずさみ、日本の兵隊はここまで歩いて来たのかと感量でした。隊長、歩兵など上下の隔たりなく同士が心を一つにする(隊長のひげがほほ笑む)光景が、徐州駅と車窓から見た麦畑などと重なりました。
ところで、徐州駅は、人がいっぱいでした。切符を手に入れるため、駅前広場に並んで座っているのです。その列の長さ100mほど、その数、何百人、右を見ても、左を見ても、私の視界の中には必ず150人以上の中国人がいる(目に入る)という状態でした。服装も人民服のようなほこりっぽいような服装で、何日もお風呂に入っていないような感じの人びとばかりでした。本当に日本では見られない光景でした。しかし、ビジネス関係の人でしょうか、きれいにしている人もいましたが、それほど多くはいませんでした。
徐州駅の正面
写真―5 徐州駅の正面(空気が汚れているため、霞んで見える)
思えば遠くまで来たもんだ、という歌のセリフ通り、身体は骨の芯までクタクタ、ニワトリや豚の顔を思い出し精神もクタクタ、それ以上に胃は重く大変でした。
その後上海へ帰り、上海の森ビル(100階建てで、当時は世界一高いビルという事でした)に昇ったり、女房へのおみやげを買ったりして、予備日の1日を観光気分で過ごしました。
とまあ、大変な中でも楽しく、得難い経験の旅をしてきましたが、寄る年並みには勝てず、ついに、帰国後はちょっと上海料理とバイチュウで胃腸の調子が悪くなり、病院へ行きました。ニワトリと豚の顔にうなされた訳ではありませんが、ちょっとひどい状況で、点滴注射のため、1週間ほど病院へ通いました。
その後、中国からは、ビジネスチャンスがあるので再度来てほしいという日本の進出企業からの様々なメールが来ておりますが、上海料理には勝てず、バイチュウには、ナオサラ勝てず、今度こそ、ニワトリと豚の顔にうなされると思い、今のところ、渡航を渋っている状況です。