第15話 トンチンカン先生の『芸術との出会い』 二題
<その1> 冬の直島漫遊記
瀬戸内海には、直島(なおしま)という有名な美術館のある島があります。皆さん、もうご存知かもしれませんが、島全体が美術館のようでして、一度は行きたいと思っていました。ちょうど1月15日に北九州で仕事がありまして、その帰りに寄ることとしました。
その帰りですが、博多を午前7時の新幹線に乗り岡山駅に降り立ち、JRローカル列車2両編成の児島行きに乗って途中、茶屋町という駅で乗り換え宇野まで行きました。ローカル列車内には多分美術館へ行くと思われる女子大生の様な人が10~15人ほど乗っています。シメシメ、うまくいけば一緒に美術館巡りが・・・、と思い、気もそぞろです。宇野駅構内の観光案内所で直島の観光案内を聞き、パンフレットをもらいました。60歳ほどの叔母さんでしたが明るくていい不雰囲気です。彼女いわく「1日では到底全ての美術館は回れませんよ。」というのですが、とにかく島へ渡ってみようという事にしました。宇野駅から200mほど歩き、宇野港から宇高連絡船に乗り、直島まで20分の船旅です。なんだか先ほどの女学生はいません。乗船客も少ない状況で嫌な感じがしました。まあ、1月の寒い時期だからでしょうと思い、まあいいや、女学生なんて居なくても、とのんびり船窓から瀬戸内海を見ていました。
宇高連絡船フェリー
宇高連絡船フェリーの自動車乗り入れ口
そして、直島の宮之浦港へ着岸しフェリーを降りたところ、港の切符売り場のお姉さんから、「今日は全館休館です。」という説明がありました。
地中美術館入り口
安藤忠雄設計の地中美術館入り口にて
壁のペンキ塗り、庭の樹木の剪定、芝の手入れなど全ての修復・修繕をこの時期に『メンテナンス休館』として一斉に実施するのだそうです。その他は1年中無休だそうです。
なんだこれは、と思ってもあとの祭り、とりあえず行ってみよう、と島内循環バスに乗りましたら、同じような60歳代のおじさんがバスの運転手さんに「どこか見るところはありませんか。」と聞いているのです。そして2人とも終点まで行き、そこから歩いて美術館の屋外展示物を見ることにしました。その人は奈良に住んでいる人でして、私と同じくリタイア―人生を送っています。優しそうな、メガネをかけた知的な雰囲気、やややせ気味、つまり、私によく似ているところから好感が持てました。意気投合して、靴音高く、いや軽く、手はつながなかったのですが、3時間余りの屋外展示物鑑賞をしながらの楽しいハイキングでした。
草間彌生のカボチャの前で
草間彌生制作のカボチャの前で
叔父さんと別れたあと、直島から再びフェリーに乗って宇野港へ、その足で宇野駅の観光案内所に立ち寄り「全館休館でしたよ。」といったら、「あらまぁ~、知らなかったわ。勤務は12月末以来でしたので申し訳ありません。」と恐縮して何度も何度も頭を下げていました。つまり、この人はパートのおばさんで、情報不足の結果でした。あまりにも恐縮しているので、しかたなく、観光案内所で売っている土産物のうち、廃線となった玉野市電(チンチン電車)のレールを輪切りにした『文鎮』を買ってあげました。パートの叔母さんの顔がたちまちニコニコと明るくなりました。しかし、帰りの荷物の重いことには辟易しました。情に流されるとロクなことはありません、でした。
レールの輪切り文鎮
レールの輪切り文鎮、1000円でしたが、重かった。
つまり、『せっかく、新幹線、ローカル列車、フェリーと乗り継ぎ、寒い中、やっとの思いで来たのに、美術館は閉館。そして帰りは重い荷物と悪戦苦闘・・・。』ということでした。
  以上。
<その2>老いては子に従え 春画展
11月の終わりに、東京で環境に関する講演をすることになりました。せっかく東京へ行くので、息子に会う、いや、可愛い孫に会うため前日から東京に入りました。夜は孫と息子夫婦で食事会。もちろん、御代は私が払います。
(食事会の場で)
私:「明日の講演は午後2時からだけど、午前中、どこか素晴らしい美術館はないかねぇ、イベントでもいいんだが・・・。」
息子:「今、永青文庫で『春画展』を開催しているから観るといいよ。」
私:「えっ。ロンドンで初めて開催されたということは新聞で読んだことはあるが・・・、東京で開催されているのか・・・。(感無量の様子)」
息子:「そうだよ。日本でも東京だけで開催するようで、巡回はしないという事だよ。僕も観てきた。よかったよ。」
息子に春画展を見なさいと言われるとは思いませんでした。親の権威も台無し、でも興味もあるし、息子の手前、『すぐ行く。』とは言いにくいし・・・、と少し考えた振りをして、「じゃあ、行ってみるか。」と生返事の雰囲気をかもし出してしっかり返事をしました。つまり、この場合、『老いては子に従え』という諺に救われた思いがしたのでした。
(翌日:春画展を観に行った日)
朝、早くから目が覚めてしまいました。開館の少し前に到着すればよいと考え、逆算してビジネスホテルを出て、山手線目白駅で降り、学習院大学を右に見て20分ほど歩くと、例の永青文庫がありました。予定通りオープン10分前に付きました。すると、すでに大勢の人が並んでいます。大変な賑わいです。会場の中は満員で、気の弱い私は後ろの方から背伸びして観ました。前の方には、4~5人のおばさん連中や2~3人の女子学生の連中が、ペチャクチャとおしゃべりをして観賞しています。なかなか次の展示物へ移動しようとしません。女性はグループで観賞に来ているのですが、一方、男どもは一人で来ているケースが多く、むっつりして観賞しています。(私もその一人ですが・・・)
春画展カタログ
春画展で購入したカタログ(写真集です)
こんな情景で、ついつい春画のそこばっかり気になるのですが、金粉の屏風に描かれているもの、背景が四季の花々で飾られているものなど見ごたえがあり、アートとして十分に味わうことが出来たのでした。結局、シッカリ2時間をかけて観ました。息子に感謝。
春画というものにすっかり虜にされてしまい、その後、『春画を旅する』という本を買って勉強しました。まず平安時代から始まった春画は、高貴なお人の占有的な所持品で、肉筆画です。絵の中の男子は烏帽子(えぼし)をかぶり、女子は十二単(じゅうにひとえ)の姿です。
戦国時代になると、大名の御姫様の嫁入り道具の一つとなります。また、武将の兜をしまう箱の底に春画を入れておくと勝ち戦になるなど縁起を担ぐものとなり、やはり権力者のものでした。しかし、江戸時代になると、浮世絵が世に出て、春画も大量印刷の技術に乗り一般庶民のものとなります。有名な浮世絵師も盛んに春画を書いていて、江戸の文化となりました。つまり、春画を知らずに江戸文化を語れないという事です。その頃から、春画にまつわる『川柳』も出来ました。その一例は以下の通りです。

◎ バカ夫婦 春画をまねて 手をくじき
◎ 無理をして 春画をまねて 筋ちがえ
春画を旅する
春画を旅する(山本ゆかり著)
この様に、みんなが身近に感じる文化となったのです。しかし、江戸時代が終わり、明治の世の中になると、外国人にこんなものを見せては日本の恥という事で、明治政府は、春画の禁止令を出したのです。そして、春画は地下深く眠ることになったのです。
 そして今、この春画が再評価されているのです。        以上。