第20話   トンチンカン先生、天津、北京へ行く
さてさて、トンチンカン先生は、平成28年、すなわち2016年に中国は天津(てんしん)と北京(ぺきん)に仕事で行って参りました。天津は環境汚染に関するフォーラムに参加し、土壌汚染事例を紹介する講演をしてきました。北京では環境展に参加し中国の環境事情を見てきました。それでは『天津・北京の珍道中』、始まり、はじまり。
その1 天津への旅、―天津飯と天津甘栗は何処―
天津市人民政府外事弁公室への表敬訪問
天津市人民政府外事弁公室への表敬訪問(前列右端がトンチンカン先生)
天津は北京の外港です。日本からも多くの企業が進出している人口約700万人の大都市です。上記の写真のように日本から総勢8人の参加です。
早朝、7時30分にセントレアに集合、そして9時25分発の飛行機で出発です。予算の都合で、韓国の仁川空港で乗換え、つまりトランジットして、天津国際空港へ向かいました。乗換えの手続きに不案内な人が多く、乗り換え時間が50分でしたので、あわててしまいました。中には乗換え場所に行かず、韓国への入国審査の方へ行ってしまった人もいて、幹事さんは大変でした。でも、何とか予定通り午後1時25分に天津国際空港に到着しました。
ホテルは、「天津水晶宮飯店」と言い、玄関ロビーにはロビーいっぱいに大きな水晶のシャンデリアが吊るされております。水晶ではなくガラスではないかと疑ってしまうほどの大きなものです。
そして、午後4時から天津市人民政府外事弁公室へ表敬訪問です(写真)。いわゆる環境部局への訪問です。天津市側は女性の副部長さんに対応していただき、通訳を通じてお互いを褒め合った言葉を交わし、オチャッパ(お茶の葉がそのまま湯呑に入っている)の入ったお茶をすすり、会談は終わりました。
20分ほどマイクロバスに乗ってホテルへ帰って一服した後、夜、天津の街へ出て、私たちだけの夕食会を開きました。せっかく天津へ来たので、『本場の天津飯』を食べるぞー、と意気込んだのですが、ショウケースにもメニューにもそれらしきものはありません。中国人の通訳の人に「天津飯を食べたいのですが。」というと、通訳の人は「卵のあんかけ丼ですね。その天津飯は日本で発明された料理です。なので、天津にはありません。」という返事でした。天津飯は日本人が日本で発明し、日本で広まった料理の様です。つまり、台湾ラーメンと一緒でした。初日の夕食で、本場の料理『天津飯』に舌鼓を打とうと意気込んでいたのですが、青森県の三内丸山遺跡の受付嬢が青森県人でなく愛知県人でした、と云う経験同様(第17話トンチンカン先生の『みちのく一人旅』を参照)、またもや出鼻をくじかれたようです。が、しかし、頑張って餃子、野菜炒めなど定番の中華料理を腹いっぱい食べました。一応、満足。
第2日目はいよいよフォーラムの開催です。初日は大気汚染対策に関するフォーラム、次の日は土壌汚染対策に関するフォーラムです。私は、化学工場の土壌汚染対策事例について発表しました。日本の企業がどれだけ苦労して土壌浄化に時間と費用を使っているか、通訳を通じて90分お話しました。特に、①住民対応が重要な事項であること、②常に公開で作業を行うこと、③専門家からの意見を聴きながら対策を進めることの必要性を強調しました。
フォーラム発表資料
フォーラムで発表したパワーポイントの表紙(第1ページ)
90分の発表を終え、いよいよ、質問時間に入ります。特にびっくりした質問は、「なぜ、企業が浄化費用を負担しなければいけないのか。」という質問が来ました。私は汚染者負担の原則を説明し、「汚した人が責任を持って浄化するのです。」と発言したら、会場中の中国人の人々は不思議な顔をしていました。中国では、国が税金を使って浄化対策事業を進めるようです。企業負担にすると価格に反映し、値段が上がり、売れなくなる、輸出できなくなるという理由の様です。日本とは随分異なった考えだと思いました。
その後、自由時間がありましたので、全員で天津の旧市街区を見学しました。
天津は特に有名な、誰でも知っているという観光スポットは無いようです。昔の天津は様々な国の統治下にあったようでして、100年ほど前に建てられた様々な国の建物が残っています。私たちはイタリアの人々が建てた建築物を見学に行きました。意大利 风 情街  (Italian Style Street)と言いまして、かなり変わった建物が並んでいます・
天津のイタリア風情街
天津のイタリア風情街(Italian Style Street)に建つ住宅の例
ちょっと見ると、悪趣味のような建物に見えます。看板に書かれている内容を中国人の案内の人に解説していただきますと、「この家は、イタリアの商人が建てた家で、100年ほど前に建てられました。今でも人が住んでいます。」と説明がありました。なんだか、アントニオ・ガウディ(カサ・ミラ、グエル公園、未完成のサグラダ・ファミリアで世界遺産となった作品を残した、スペイン人)の作品みたいです。しかし、ガウディのような感動はありませんでした。当時の貿易商で大きな富を蓄えた、成金趣味のようにも見えました。でも、建物のいたる所にテラコッタ(素焼の塑造)の作品が張り付いており、見応えはありました。
サグラダ・ファミリア
有名なガウディ作『サグラダ・ファミリア』(教会)
注.ガウディはこの教会を建設中に交通事故で亡くなりました。
この様な住宅があちらこちらに並んでいるので、しばらく散策をしていると、鐘の音を鳴らしながら「パッカ・ポッコ、パッカ・ポッコ」と蹄の音も軽やかに、いや、軽やかではありませんが、馬車が迫ってきました。多くの観光客を乗せた重そうな荷馬車を一頭の馬が一生懸命にひいています。なんだか、馬を虐待している、パワハラのような気がしました。
荷馬車に乗っている観光客は殆どヨーロッパ人(中にはよく肥えたおばさん)の様でした。
馬車
「パッカ・ポッコ」と馬車がゆっくりと行き過ぎました。
(荷馬車が重そうで、馬がかわいそうでした。)
その後、天津鉄道駅の前を通り、やはり夕食に出かけました。特に天津ならではという中国料理はない様でしたが、ちょっと驚いたことがありました。中華料理店が入っている大きなビルのロビーで異様な光景を見てしまいました。
それは、『天津、おばさんパワー』です。30人ほどのおばさんがこれから晴れ舞台に出る直前の最後の練習、そして、最後の化粧直しをしているのです。
「おばさんダンシングチーム」はロビーいっぱいを使い、こちらでは化粧直しと衣装のタルミ直しをしています。あちらの方では、踊りの振り付けの確認をみんなでやっているのです。化粧のにおいがプンプン、やかましさは人一倍でした。
おばさんダンシングチーム準備
天津『おばさんダンシングチーム』の本番準備
おばさんダンシングチーム本番
天津市で見かけた『おばさんダンシングチーム』の底力
そんな訳でして、天津で一番印象に残ったものは『おばさんダンシングチーム』のパワーでした。
帰りに、天津みやげの『天津甘栗』を買っていこうと、空港の免税店に行きましたが、あれっ、天津甘栗はありません。中国人の通訳の人に、最後の質問、「天津甘栗はどこで売っていますか。」と尋ねましたところ、通訳さんは「天津甘栗はありません。天津郊外には大規模な栗園が多くあります。以前から天津港は日本へ栗を輸出する積み出し港でした。それで、日本人が甘栗に『天津甘栗』という名前を付けて日本で売り出したところ、爆発的に売れたのではないでしょうか。」という答えでした。またまた、大変なことを知ってしまいました。
その2 北京への旅-故宮博物館の老人票・本物の万里の長城―
北京へは初めての旅です。しかも、一人でセントレアから飛行機に乗り、中国人と空港で待ち合わせです。大変な思いをしました。朝8時にセントレアへ行き搭乗手続きを終え、出発の連絡をする人がいないので、とりあえず、息子の嫁に「今から行って来るよ。」と携帯電話で連絡しました。
そして、飛ぶこと約2時間、無事に北京空港に着きました。ここからが冷や汗の連続でした。飛行機を降りて皆さんがゆく方へ歩いて行きました。思った通り入国検査所がありました。パスポートを見せ、指紋を取り無事通過。しかし、荷物を受け取る所がありません。皆さん、電車に乗るのです。ええっ! 荷物は?皆さんが乗るから違っていてもまた戻ってくればいいや、と思いつつ、乗り込みました。駅は2つあります。国内線と国際線をつなぐ地下鉄の様な車両です。そして3つ目の駅が空港出口です。そこで降りて、皆さんに付いて行くと、荷物受取場がありました。やっとの思いで、トランクを持って北京空港のロビーに降り立ちました。
しかし、指定された待ち合わせ場所に中国人はいません。一難去って、また一難。携帯で連絡したところ、北京市内が混んでいて、約1時間後に空港に着きますという返事でした。トランクに腰を落として待つこと1時間30分、やっと中国人に会えました。タクシーでホテルへ行き、翌日環境展を見学しました。
今回の旅は、余裕を持ったスケジュールでしたので、故宮博物館と万里の長城へ行くことが出来ました。この2つの観光地への珍道中をお話します。
(1)故宮博物館
故宮博物館は天安門広場の奥にあります。北京の地下鉄に乗るときは飛行機の荷物検査と同様、荷物のX線検査があります。乗る人は全員、荷物を機械に通します。
私は、ペットボトルを持っていましたが、検査員から「ペットボトルの飲料を私の前で飲みなさい。」と言われました。しかたなく一口飲んで見せました「行ってよい。」と言われ、地下鉄のホームへ降りた次第です。
『前門』という名前の駅で降り、大きな毛主席記念堂を左に見て天安門広場へ出ました。とにかく人が多く、つまり、人が渋滞しているという感じです。
天安門広場
天安門広場にて
日曜日でもないのに、大変な人出です。視界に入る人々の数は、右を見ても、左を見ても、どこを見ても100人以上います。これぞ、本当の中国なのだと実感しました。
天安門広場を歩き、天安門の中に入ると故宮博物館の切符売り場があります。そこで、パスポートを見せて切符を買うのです。年齢がわかってしまい、購入した切符は『老人票』というものでした。
故宮博物館入場券
北京・故宮博物館入場券(老人用)
確かに大人50元のところ老人は30元なので安いのですが、ちょっとムカッとしてしまいました。「私はまだまだ、若いのだぞー。」と言いたいほど切符売りの女性は淡々と、こちらを見ずに知らんぷりして切符を窓口から出したのでした。
故宮博物館内部
北京・故宮博物館の内部
故宮博物館は非常に広く、一日では回りきれないほどです。写真などの撮影は禁止されていません。大きな石仏や石版など迫力のあるものばかりです。ここでも、人だかりがすごく、一番前で見ることは出来ないほどでした。半日を要して見学しましたが、全体の半分も観られないほど、展示場、展示物が多くありました。満足、満足。
(2)万里の長城
次の日朝早く、昨日と同じように地下鉄で前門駅まで行き、そこからバスに乗って3時間余りかけて万里の長城を見学しました。
2時間ほどバスに揺られていると、遠くに万里の長城が見えてきます。「わー、すごい、万里の長城だ。」とみんなが騒ぎ出したのですが、バスガイドは「あれは、今から見学する万里の長城ではありません。お金持ちが自分のお金を出して作った偽物の万里の長城です。」という説明です。相当な大富豪で、お金に任せて万里の長城の隣に自分だけの万里の長城を建設したもののようです。日本人の感覚でしたら、何千年も風雨にさらされた万里の長城の修復に寄付するのですが・・・、ちょっと感覚が違うのでしょうね。
そして、ぴったり3時間で本物の『万里の長城』へ到着しました。
そこからロープウエイでのぼり、万里の長城を散策しました。ここでもやはり、人が渋滞しています。
万里の長城入場券
万里の長城入場券(こちらは老人票ではない)
万里の長城を見学した日は、本当に良く晴れて、スモッグなどありませんでした。こんな天気はまれだという説明がありました。長く連なっている万里の長城が遠くまで見えるのです。
写真を見てください。空はどこまでも青く、遠くまで撮影することが出来ました。しかし、坂の多いこと、息が切れて大変な思いをしました。
万里の長城の混雑
万里の長城にて。(混雑ぶりが分かります)
万里の長城では、アスファルトで補修していたり、老人のための手すりが、万里の長城にドリルで穴をあけて設置してあります。日本では考えられないことですが、万里の長城のデコボコ床面はアスファルトで滑らかに、横の手すりは、重要な文化財にもかかわらず、穴をあけて手すりを設置するのです。
万里の長城で休憩
少し休憩(こんなに快晴の日はないという説明でした)
文化財に対する考え方が日本と違っていることに驚きました。
2時間ほど万里の長城で過ごした後、ロープウエイで降り、みやげ店を見て回りました。万里の長城での記念品にと孫に帽子を買いました。帽子には万里の長城の英語として「  Great Wall 」 と書かれていました。孫は大変喜びました。
翌日は日本へ帰る日でした。午前中、ちょっと時間がありましたので、北京の繁華街を散策しました。百貨店には、ドラえもんやキティーちゃんの縫いぐるみが山のように積んでありました。食料品売り場には何でもあるという状態で中国の生活物資の消費はすごいと思いました。
タツノオトシゴとサソリの串
足をバタつかせたタツノオトシゴとサソリの串物を売っていた。
(足をバタつかせて、元気よく生きている)
一方、昔ながらの露店もいくつかありました。上の写真のように、タツノオトシゴやサソリの生きたものを売っている露店(その場で焼き鳥のように焼いて、タレを付けていました。買った人は歩きながら口に運んでいます。)もあり、行き交う若者はジーンズを履き、大きなサングラスをかけています。
中国という国は、これからもどんどん変わって行くのではないかと思いました。
反省
<その1> 思い込みの激しさ(天津飯と天津甘栗)
天津では、天津飯を食べたい、天津甘栗を買いたいと思っていましたが、ダメでした。天津と名がつくものは全てその発祥が天津と思ってはいけないのです。思い込みの激しさに反省です。
<その2> 国が違えば考えも違う(自己責任)
日本のルールは外国では通用しないのです。日本では環境汚染を浄化する責任は汚染者に有りますが、中国では責任はないのです。ビックリです。
<その3> いつまでも若い?(故宮博物館、万里の長城)
古希に入ったが、体力はまだまだ、そして、気持ちは20代と思っていました。しかし、故宮博物館で渡された『老人票』はショックでした。そして、万里の長城でのアップ・ダウンの道は、やはり古希なり、と反省しました。