第25話 平成最後の旅路
みなさま、暑い夏で猛暑、大きな台風の襲来 そして厳しい残暑、いかがお過ごしでしょうか。わたしは家庭菜園の管理の放棄、毎日のウォーキング、1万歩達成の返上など、毎日ダラダラしたイモムシのような生活を送っております。
さてさて、『令和』最初のお便りをお送りします。昭和、平成、令和と生きてきました私としては、大変な長生きをしたものだと感心していますが、『人生100年時代』という声を聞くと、かなり不安があります。
なぜかと問えば、昨年の春3月に行きました台湾での仕事がキツ過ぎて、具体的には、つまり、摂氏4度の日本からイキナリ摂氏27度の台湾南部での気温の中で、しかも『モモヒキ姿』で悪戦闘した結果、外国嫌い、それに『出不精』になってしまったのであります。今思えば、4泊5日の間、全て工場環境指導をしたのです。物見遊山はありません。延べ9工場の環境指導です。それもほとんど屋外の仕事です。公害対策の施設はおおよそ、屋外に設置され、しかも工場の裏手にありまして、直射日光を避ける設備も用意されていません。その結果、第一日目のモモヒキ姿が、後の工場環境指導の仕事まで尾を引きまして、さらに帰国後も体調不良、疲れやすい、すぐ風邪気味など大変なことになったのであります。
台湾新幹線台南駅にて
台湾新幹線台南駅にて(モモヒキを履いている)
体調が良くなったのは、夏も終わりごろでしたが、外国嫌いになり、その後は海外での仕事を断る状態です。しかし、そんなことばかり言ってはいけないと、まずは、飛行機に乗ることから体を馴染ませることとして、先日、鹿児島、宮崎へ家族旅行をしてきました。息子夫婦と孫2人と私の計5人、2泊3日の旅です。さ~って、ご覧あれ。

第1日目
セントレア(中部国際空港)からテイクオフ。観光当日は、好天に恵まれ、桜島がくっきり見えました。噴火している様子もしっかり見え、孫は、「マグマだ。マグマだ。」と言ってはしゃいでいました。私たちは、鹿児島空港からレンタカーで、特攻隊出撃基地の跡地に出来た知覧(ちらん)特攻隊平和祈念館、その後、知覧武家屋敷跡を見学しました。鹿児島と指宿の間にある知覧は静かな街並みです。
知覧の武家屋敷跡にて
知覧の武家屋敷跡にて(目を寄せてポーズを取るヒョンキンな孫と(隔世遺伝かも))
その後、鹿児島市内の城山(西郷隆盛最期の地、桜島が綺麗に遠望できる丘)、九州新幹線鹿児島中央駅ホーム(孫の希望)に立ち寄り、鹿児島港からフェリーに乗って噴火している桜島の裾野に位置する桜島温泉(硫化鉄温泉)で1泊したのでした。
フェリーから見た桜島
フェリーから見た桜島(頂上の右部分から噴煙が上がっていた)
桜島温泉は小説『放浪記』で有名な小説家 林芙美子のお母さんが仲居をしていた
温泉地です。そのホテルの前には『花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき』
と刻まれた石碑の前に林芙美子像がありました。林芙美子は尾道に出るまでの幼
少の時期にこのホテルに母と一緒に従業員部屋で住んでいたとのことです。
孫は小学1年生の国語の教科書で「いろいろな船」という読み物を習い、その中でフェリーの話が出ていましたので、それを思い出したのか、フェリーに乗るや、すぐさま客室へ行きソファーに寝そべり、また、デッキにあがり自動車がどんどん船に入る所を見て、売店ではソフトクリームを買い、大変喜んでいました。

第2日目
翌朝、夜明けとともに(年を重ねると寝起きが早いのです。) 私一人で林芙美子の石碑の周りをウォーキングしました。すると風の向きが変わったのか、急に火山灰が降って来ました。空を見上げると細かい黒い粒子がフワフワと降下しているのです。道路を走る自動車は火山灰の砂塵を巻き上げながら通り過ぎます。私たちのレンタカーも火山灰で汚れています(後に、孫は自動車の上に積もった火山灰に、意味不明な落書きをしていました)。私は肩や腕に火山灰が付着しているので時々、はたきながらウォーキングです。
火山灰を浴びるという、ちょっと変わった経験をしました。これぞ、旅の醍醐味というものでしょうか。満足、満足。
朝食後、再びフェリーで鹿児島市内へ戻り、高速道路を走り、宮崎県の鬼の洗濯板で有名な青島へ、そして鵜戸(うど)神社を参詣しました。
孫と宮崎県青島
孫と宮崎県青島「鬼の洗濯板」にて記念写真。
孫はこの4月から2年生です。鵜戸神社では、誰が教えたのか、賽銭箱の前で、お賽銭を投げずに柏手を打って、頭を下げ、手を合わせた格好で「2年生になったら、運動神経がよくなりますように。勉強がよく出来ますように。」と小さな声でブツブツ言いながら手を合わせて拝んでいます。それを見た私はちょっと待てよ、と考えたあげく、孫に説教しました。「そのお願いの仕方はだめだよ。それは。他力本願の願掛けといって、自分の努力なしで神さまにお願いする方法じゃないか。神様にお願いする時は、『毎日、運動をしますので、運動神経が良くなりますように。毎日、しかり勉強しますので、頭がよくなりますように。100点取れますように。』と言って拝むのだよ。」と懇切丁寧に教えました。
願掛けをする孫
お賽銭を投げず、他力本願の願掛けをする孫。
そして、霧島温泉郷で2泊目です。大きな露天風呂がいくつもあり、その中で湯船もいくつもあり、孫たちは、まるで子供用プールで遊ぶように、はしゃいでいつまでも湯に入っていました。
九州の鹿児島へ行くなら、絶対『焼酎』の飲み比べ、夕食時はボトルで注文と意気込んでいましたが、何てことない、一応、豪華夕食と言われるホテルの夕食では、ほとんどすべて食べ尽くしたのでお腹が張ってしまい、生ビール一杯で終わりました。年には勝てないですね。
ホテルの売店
ホテルの売店には焼酎がいっぱいありました。
第3日目
最後の日は午後の便で名古屋へ帰ります。午前中、大きな社殿を持つ霧島神宮を参拝しました。『日本発祥の地 霧島』という石碑があり、高千穂峡と同じくこの辺りは神話にあふれた神秘な場所です。なかなか良い所でした。次回は高千穂神社などへも行ってみたく思いました。
霧島神宮本殿
霧島神宮本殿
このような訳でして、楽しい家族旅行をさせていただき、息子一家には感謝をしています。そして、帰りの飛行機から降りて、家路に向かう間、「今度はどこに行こうかね。」と、すでに、次の計画に話が弾んでいました。

私も、もう73歳の年齢でして、老いては子に従え、そして孫に従え、の家族旅行でした。嬉しくもあり、淋しくもあり、平成最後の旅路でした。

それでは、元気にお暮しください。人生3ケタ、100歳時代です。次は『令和』の時代です。私ももう一働きをする気持ちでいます。

『令和の時代』、ご家族の皆様ともども、ご健勝とご多幸を祈念致しております。

「平成最後のお手紙。」ご笑納、ご一読頂き、有難うございました。

それでは皆さん、次回のお話まで、ごきげんよう、さようなら。また書きます。