第26話 トンチンカン先生からアンポンタン老人へ
さてさて、『令和』最初のお話です。すでに70歳を超えた私ですが、何かと興味を持ちながら、つまり、首を突っ込みながら、アンポンタンな解釈で発言する、行動するなど、周りの人々から、びっくりした目つきで見られ、逆に無視されて、「なんでだろう。」と勝手に不思議がる今日この頃です。ついに、トンチンカン先生からアンポンタン老人へ遷移してしまいましたが、このたび完全にアンポンタン老人へと進化しました。それでは、いつものように始まり、始まり~。
その1 孫の夏休み自由研究の手伝い

いつも私がかわいがっている孫(孝くん、または孝樹、と呼びます)から、「じいちゃん。2年生の夏休み自由研究一緒にやろうよ。」と言うのです。私は、「何するの?」と聞くと、孫は「カブトムシの研究。」というのです。「そんな、毎日見て観察するだけでは、だめだよ。研究にならないよ。」そして、「カブトムシの解剖ならいいかも。」と言いました。といっても、私も良いアイデアがないので、孫と二人でどうしよう、どうしようと考えていました。
 そういえば、昨年の夏に、アサガオの苗を学校から持ってきた孝樹が、私の家庭菜園で育てて、種がいっぱい出来たことを思い出しました。
 それは、アサガオの苗を家で育てる子には先生が1株ずつあげます、ということでもらってきた苗ですが、結局、私が家庭菜園の午前中しっかり日の当たる一等地で育て、枯れるまで管理したアサガオから出来た種です。種は100粒を超えるほどあり、冷蔵庫の野菜室に眠っていました。
朝顔のたね
研究のために使った朝顔のたね(100粒強)
これで何か研究できないかと考えた挙げ句、朝顔の種をいっぱい発芽させ、どのような場所できれいに成長するかを調べることにしました(この部分は、ほとんど私の考えで、孝樹はポカンとしているばかりでした)。そのためには、植木鉢がたくさん必要だろうと思いました。そこで、昔お世話になった、『常滑焼』で有名な常滑市在住のAさんに電話相談しましたら、「植木鉢の生産業者でもう生産していない会社(多分倒産したようです)があります。その工場跡地には壊れた植木鉢がいっぱいあります。中には使えるものがあると思いますので、もらってきましょうか。このままでは、どうせ、産業廃棄物になる物でして、処分するには費用がかかります。ちょうど良いと思います。」という嬉しい返事でした。
 マグカップほどの大きさの、壊れていない植木鉢を20個いただいてきました。そしていよいよ自由研究の始まりです。
発芽した朝顔
研究で使用した発芽1週間目の朝顔たち
(研究途上のお話しをすると長いので省略します。)
長さを測定する孫
根と茎の長さを測定している孫。
研究の成果を模造紙2枚に書き、写真もきれいにちりばめて完成しました。孝くんは元気に、自信満々な顔つきで、2学期の始業式の執り行われる9月4日に小学校へ持って行きました。1週間後、父兄の人が参観できるよう学校の体育館に並べられ、掲示されていました。私たちの(孝樹と私の)研究結果は、なんと金賞でした。数日後、孝くんは大喜びして、私の事務所へ金賞の表彰状を見見せに来ました。金賞の中から1品が学校の代表で、市の展覧会に出品されるようです。孫も、私も、絶対に出品されると確信していましたが、残念なことに出品するという連絡はなく、ある日、孝くんは研究結果を書いた模造紙を持って下校してきたのです。私は大変落胆し、そんなはずない、何かの間違いではないか、いやいや審査員である先生の理解度が足りないのではないか、と次から次へと、何故、何故、どうして出品されないのだろうかと思いを巡らし、かつ、憤慨していました。そして、ハッと気づいて、あっ、いけない。孫の自由研究なのに、アンポンタン老人だけが独走している。その後、大いに反省する毎日でした。
 孫はというと、何も感じず、次の遊びに夢中になっているのでした。
その2 なわとびの練習

ある日、息子から、「孝樹がちっとも縄跳びが出来ないんだよ。」という話がありました。少し考えた挙げ句、「それなら、私が教えてあげるから、私の仕事が終わった午後5時頃、孝くんに事務所へ来るように言って。教えてあげるから。」と伝えました。
 翌日、縄を持ってやってきました。
私、「それでは飛んでみなさい。」
(孝樹は飛んだけど、縄が1回転もしないうちに、足に縄がひっかかり、飛べません。)
孝樹、「う~ん。絶対無理。」と言って、「おじいちゃん、やって見せてよ。」というのです。
(孝樹の飛び方は、お尻を突き出して、前屈みになり、縄を力強く回すことなく、へたり込んでしまうのです。出来ない理由が読めました。)
私、「よ~っしゃ。見せてやるからね。見ててよ。」
(孝くんから縄を取り上げ、模範演技を見せるべく飛びました。しかし、なぜか、1回も飛べません。)
私、「おかしいなぁ~。何故だろう。」・・・・・「あっ。わかった。縄が短いのだ。大人用の縄跳びの縄を買いに行こう。」ということになりました。
(そして、私の車で孝くんを乗せて、スポーツ量販店に行き、大人用の縄跳びを買い求めました。)
私、「あのう、大人用の縄飛び紐ありますか。」
店員、「ここにあります。丈夫なものなら1,000円ほどしますがいかがですか?」
私、「一番丈夫なものをください。980円ですね。」
店員「あのう、あなたの靴は相当傷んでいますね。靴底がすり減っていますよ。これで縄とびは危ないです。」というのです。
孝樹、「おじいちゃん、靴、買った方がいいよ。」
私、「う~ん。じゃ、運動靴も買おう。」
店員「これなど、丈夫で、安全です。いかがですか、一度履いてみますか?」
(私はとりあえず、試着し、履き心地が良かったので、購入することにしました。そしてゆっくり値段の書いた札を見ると。)
私、「え~っ。8,000円!!」、
仕方ない。安全面も考えて、孫の手前、縄跳びの指導中、転んで骨折でもしたら全治何ヶ月の重傷、場合によっては寝たきり、そして、おじいちゃんの権威は失墜、と考えれば考えるほど負のスパイラル。結局、勇断を持って、つまり『清水の舞台から飛び降りる』つもりで購入しました。
私、「あ~ぁ。指導経費、8,980円も使ってしまった。」とブツブツ、ブツ。
その後、毎日、孝くんに縄跳びを教えました。
私、「お尻がでている。引っ込めて。」
私、「正面を見て、姿勢正しく。」
私、「腕は、体にくっつけて、縄を回すのだ。」
とスパルタ教育と模範演技を織り交ぜて、1週間。ついに、孝くんは連続50回ほど飛べるようになりました。そして、走りながらのなわとびも出来るようになりました。やれ、やれ。
 その後の私と言えば、膝が痛くなり、腕も筋肉痛でしばらく養生することとなりました。しかも多額な指導経費(練習資材)を投入して、であります。皆様も、あまり模範演技はしないようにしてくださいね。『模範演技先輩』からのご忠告です。

 そしてしばらく後、膝の痛みが続きましたので、膝のお皿が割れている、もしくは、足の骨がボキッと折れているのではないかと心配して近くの整形外科医院でレントゲンを撮ってもらいました。
処方薬と湿布薬
整形外科医院で処方してもらった、炎症を押さえる薬と湿布薬
医院の医者、「膝関節はきれいですね。軟骨もしっかりあります。」
 私、「どうして痛いのでしょうかねぇ。」
 医院の医者、「急激な運動、無理な運動は避けてください。年齢ですから。少し炎症を起こしているようです。」と言うのです。
 『縄跳びの模範演技』のことは、恥ずかしくて言いませんでしたが、医院の医者は、過激な運動でこの様になったと、薄々感じているようでした。
 これからは、『過激な運動は控えます。』と私自身に宣言しました。
 そして、1週間分のお薬で痛みはほぼ解消しました。薬の効果は良く、この様な、あまり反応能力のないアンポンタン老人にも効果があるのだと感心しました。
その3 自転車乗りの練習

孫の孝樹は、もう2年生になってかなりの日数が経っているのですが、自転車に乗れません。私が機会ある毎に、日曜日の安城市役所職員駐車場で自転車乗りの練習をさせました。補助輪付きの子供自転車ですが、7歳の孝樹にはすでに小さすぎます。まず、工具箱を取り出して補助輪を取りはずします。
練習用自転車
補助輪を外し練習した自転車
孝くんが自転車に乗ります。私が後ろで自転車を支え、スタートです。中腰になり一緒に走ります。孝くんは危険を感じるとすぐブレーキをかけます。私はつんのめりになり、転びそうになります。
 とまあ、こんな訳で大変な苦労をして練習をしました。孝樹はなかなか上達しません。私は息切れと、腰痛で座り込みます。
 孝くんは、「僕、もう出来ないから、大人になっても補助輪をつけて走るよ。」と言うのです。そんな馬鹿な、どう考えてもその様なことは出来ないので、更に練習を重ねることにしました。
 私は、「足でペダルをしっかり、キック、キック。」と叫びます。そして、「倒れる方へハンドルを切るのだ。」とも叫びます。
 最後は、孝くんの肩を持って、100メートルほどの直線を一緒に走るまでになりました。そしてついに自転車に乗ることが出来たのです。本当に疲れました。ヘトヘト。
孫と新しい自転車
悠々と自転車に乗る孫と新しい自転車
その日の夕方、息子(孝樹のお父さん)から電話がありました。「今日、職場から帰ると、孝樹が家の前で悠々と自転車に乗っているんだよ。ハンドルを右に切ったり、左に切って、もうずいぶん前から乗っている様な状態。びっくりしたよ。お父さん(私のこと)有り難う。」
 その後、あまりにも小さな自転車だったので、私が自転車に乗れるようになったご褒美として、孝樹に、かなり大き目のかっこいい自転車を買ってやりました(写真を見てください。かなり高額)。やはり、孫には甘く、その結果、当然ですが出費もかさむこととなりました。ヤレヤレ。
その4 孫のバイキング料理、初体験

夏休みに、大きなホテルに宿泊する計画を立てました。息子一家と私、総勢5名の団体旅行です。ホテルは大きく、食事は夕食、朝食とも、すべて『バイキング形式』です。宿泊する部屋のカード式の鍵を持ってホテルの食堂へ行くと、係のお姉さんに5人が座れる場所(テーブル)へ案内していただけるのです。
 食堂は大きく、テーブルは20~30もあります。天井は低いものの、体育館のようでした。正面奥には日本食コーナー、右側は洋食、左側は中華のコーナーです。所々に、正方形で9つのくぼみのある皿が積んであり、それを1枚ずつ持って好きな食べ物を自分で取り、テーブルまで持ち帰り、そこでいただくのです。
 私は、日本料理が並べられたコーナーに行き、刺身、おでん、おしたしなど純和風の食べ物をいただきテーブルに帰ってきました。
 孝くんも私の後に付いてきて、卵焼き、かまぼこ、たこ焼きなどを取り、私とともにテーブルに着きました。「いただきま~す。」といって食べ始めたのですが、孝くんは遠慮したのか、何なのか、少ない量でしたので、すぐ食べ終わってしまいました。
 「今度は自分で取りに行ってきなさい。あちらの方は中華のコーナーだから、孝くんの大好きな食べ物がいっぱいあるよ。」と私が言うと、空になった9つのくぼみのある皿を持って中華の方へ行くのです。
  (しばらくして)
 その後、私たちがビールやウーロン茶を飲みながら歓談していると、孝くんが9つのくぼんだ皿を大事そうに、こぼれないように、ゆっくりした足取りで帰って来るのが遠くに見えました。何か変だぞ、皿の中は真っ白です、中華系は赤色が目立つ料理ですが、全て白色です。近くへ来たのでよく見ると、写真の通り、肉まんが9つ載っているのです(写真は8つですが、すでに1つは口の中)。なんだ、なんだ、これは、「バイキング料理はいろいろな食べ物を少しずつ取り、テーブルで美味しくいただくんだよ。」というのですがすでに時は遅く、一番右手前のくぼみにある肉まんから食べ始めているのです。
肉まんだらけの皿
肉まんの好きな孫がテーブルまで持ってきた、すべて肉まんの
載った9つのくぼみのある皿(1つはすでに『口の中』)
いくら肉まんが好きでも、こんなに食べるとは思いもよらぬ状況で、子供の考えることは、大人には想定できないものだとつくづく思いました。孝樹はすべての肉まんを一人で平らげました。この光景を見て、「驚きと呆れ」が一緒に来た思いでした。でも、楽しい夕食でした。
 And then 翌日の朝食もバイキング形式です。孫は肉まんとは別の料理を食べています。朝からカレーライス、赤ショウガを除去した焼きそば、オレンジジュースなどです。あまりにも子供に似合わず大盛りです。いつも食べさせていない様に見えて、ちょっと恥ずかしい思いがしました。
 私はというと、本当は肉まんが大好きです。朝から肉まんを3つゲットしました。テーブルに帰り、早速食べ始めると、何と、肉まんではなく、アンまんでした。3つも食べると、口の中がアンコで甘ったるく、いつまでも味が残り、朝から肉まんのゲットは70歳代のおじさんには無理があると思い、反省することしきりでした。
 そう言えば、中国へ出張した時、ホテルでのバイキングは、いつも『夜は肉まん、朝はアンまん』ということを思い出したのでした。中国へは10回を超える回数、北京、南京、徐州、大連、蘇州、杭州などへ仕事で行っているのに、しっかり学習効果が発揮されていませんでした。反省、反省。
 と言う訳でして、つまり、縄跳びといい、自転車乗り、肉まんといい、孫と『き競い合う』と大変なことになると痛感しました。もっと、己を知ることを学習しなければ・・・・。

 令和最初のお話でした。孫には常に驚かされる日々です。マゴマゴしてしまいます。そして、アンポンタン老人は孫に可愛がられて、いつもニコニコの毎日を過ごしています。
 それでは、令和の時代を元気にお暮しください。人生3ケタ、100歳時代です。私も『アンポンタン老人』として、もう一働きも、二働きもする気持ちでいます。『令和の時代』、皆様の、ご健勝とご多幸を祈念致しております。
 それでは皆さん、次回のお話まで、ごきげんよう、さようなら。