私たち夫婦は、おおよそ結婚40周年になります。このたび、ブータンに赴任している息子と日本に住んでいる次男の息子が40周年を祝って私たちに『ブータンへの旅』を計画し、資金を全額提供していただきました。40周年はルビー婚式というのだそうです。息子たちは、『金婚式の50周年になるとお父さんもお母さんもヘナヘナになって旅行に行けなくなる恐れがある。』ので、2人で検討した結果、40周年にしたということです。
おみやげの購入資金まで提供してもらうほど、気を使ってくれましたが、「ヘナヘナ」という心配には、「むっ」、とするやら、「涙が出る」やら、何となく複雑な思いでしたが、「老いては子に従え」ということで了解しました。それではブータン漫遊記をお話します。
第1章 旅の準備
名古屋からブータンへは、まず、「タイ・エアライン」でセントレアから5時間ほどでタイのスワンナプーム空港へ飛び、一泊して早朝4時テイク・オフの「ロイヤル・ブータン・エアライン」でブータンのパロ空港へ飛ぶのです。飛行時間は約3時間です。この時期である3月から4月はちょうどブータンの各地で「ツェチュ(お祭り)」が開かれており、世界中の観光客が集まるのです。
プナカのゾン(県庁と寺院が一つになっている昔の要塞)
息子から、「ブータンでは公衆トイレのない場所が多いので気を付けてよ。」というメールが入っていました。
お母さん:「えっ。気を付けてよと言われても、どのように気を付ければよいの?」
お父さん:「トイレのない観光地、これは大変だね。」
お母さん:「どうしようかねぇ。困ったわ。」
お父さん:「サルバDパンツ、はどうかね。」
お母さん:「私はいやだわ、まだ、そんなもの、身に着ける年齢じゃないし・・・・。」
お父さん:「しかしよく考えたら、ツェチュ(お祭り)では、見学の場所取りが大変で、一度場所をとったら5時間ほどは離れなれないということだよ。」
そうです。場所を離れると他の人が座ってしまうのです。この様なわけで、結論から申しますと、紙パンツをはいて行けばなんとかなるのではということに女房と意見が一致しました。ところで、「紙パンツ」の正式名はいわゆる、単なる「紙おむつ」です。あしからず。
パロのツェチュの一場面(紙パンツをはいて必死にシャッターを押した)
さっそく10枚入りのものを購入して、試着しました。紙ですので暖かく、「トイレに行きたい。」という気持ちも薄らいで、姿かたちも『ヒップアップ』になり、腰からお尻にかけて、若く見えるようです。さっそく旅行カバンに入れました。女房は、「お父さん、一度、漏れないかどうか試したらどうですか。」と、盛んに言うのです。しかし、ここは品よく、そのチェックはしませんでした。
ということで、不自由な生活を送っている単身赴任の我が豚児のために、インスタントみそ汁、カットわかめ、半生うどん、だしパックなど、『日本の味』をいっぱい買い込み、持っていくことにしました。
第2章 パロから首都ティンプーへ
パロの町は標高2,500メートルです。空港はS字型の谷底にありました。飛行機の主翼が山にぶつかるのではないかという大接近をしながら、右へ、左へ旋回し、飛んでる翼のすぐ近くで、ヒト影、牛の姿、ヒマラヤ杉が右から左へ飛んでいく様子はスルリ、いやスリル満点です。手に汗握るとはこのことでして、やっとのことで無事滑走路の中央へ着陸しました(アぁ~怖かった)。どうも怪しい。管制塔がない、小さな木造の空港ビルディングがチョコンとあるのみでした。そうです。この空港へ舞い降りるのはパイロットの目で確認しながら着陸する、いわゆる、『有視界飛行』なのです。狭い谷に3,000メートルの滑走路は驚異的です。欠航はしばしばあります。いうなれば、着陸は天候とパイロットの腕次第というところです。
ブータン パロ空港へ到着(後方はヒマラヤへ繋がる山脈)
タイまで迎えに来た豚児と女房、そして私の3人は空港ビル(お寺の本堂のような雰囲気です。)で入管手続きです。するとそこはすでに「ゴ」という、私たちが昔来ていた、綿の入ったハンテン(三河弁でドテラと言いますが・・・。)を着ている入国審査官がいました。「ゴ」はブータンの制服なのです。審査官の机も白木の木製です。ここはブータンという意識がより強くなりました。
パロ空港にて、入国審査(ビザを取得していないと入国できない)
空港の外はというと、駐車場がありその向こうはすでに山肌が迫っています。商店街はありません。比較的広い駐車場があり20台ほどの車があるのみでした。
空港ビルの外に出ると40歳くらいと思しき「ゴ」を着た人が、ニコニコして近づいてきました。豚児と何か英語でおしゃべりしています。どうやら、予約したタクシーの運転手さんです。
お父さん:「へぇ~。運転手さんでも英語がペラペラなんだ。」
お母さん:「特別に英語のできる運転手さんを予約したんじゃないですかね。」
運転手のライさんは駐車場へタクシーを取りに行きました。ネパール系の人です。
しばらくして、「TAXI」と書いた看板を屋根に付けた軽自動車が私たちの前に現れました。そうです。この国ではすべてのタクシーは軽自動車なのです。そして、中国の大連で経験した、『相乗りOK』だそうです。
大きい荷物は後のドアーに入れ、もう一つは後部座席の私と女房の間に置き、私と女房が二人で抱きかかえ、首都ティンプーまでの日本で言えば国道1号に匹敵する幹線道路を走ります。走りますが、「悪路」に悪戦苦闘です。ちなみに、「悪路」の構造ですが、自動車が通る片道1車線つまり、往復2車線の幅のみ舗装されています。両サイドは背の低い牧草のような草が少し生えています。そこでは、数頭の牛が自由に草を食んでいます。しばらく走るとヤギもいました。そしてまたまたしばらく行くと家畜化したヤクもいました。男の人が後ろ手にムチを持っています。国道1号に牛やヤギ、ヤクという光景は、ブータン特有の農家の家々を背景に、「のどか」そのものです。
豚児は助手席で、再び運転手さんと英語で話をしています。そして1時間ほど、ブータン特有の農家の家、棚田、ヒマラヤ山脈から続いている険しい山肌を見ながら、ティンプーへ進みました。
第3章 ブータンの教育・病院
ブータンの子供はみんなニコニコしています。カメラを向けると、ポーズをとります。目が合うと『ハロー』とあいさつします。日本人にそっくりな顔立ちが、親しみをより強くします。登校する男の子たちは全て『ゴ』を学生服として着ています。女の子は『キラ』というこれまた、ブータンの制服を着ています。キラは1枚の大きな布を巻きつけるようにして着込むのだそうです。近づいてみると、綺麗な刺しゅうを施した、見るからに高価な布です。そのキラを着た若い女性が、そのまま地面にペッタリ座っているのです。汚れる、刺しゅうの糸が切れる、勿体ないと心配しながら地面にペッタリ・ペタッと付いている腰のあたりに、「勿体ないなぁ~。」という視線を置き、数秒後、ハッ、と我に返り、おじさんの全く動かしていなかった目線の位置に反省するばかりでした。
パロのツェチュで、制服の「キラ」を着た子供たちと女房
パロのツェチュで、制服の「ゴ」を着た子供たちと女房
病院では軒先にある受付に10人ほどが並んでいました。軒先の5人くらいが家のひさしで陰になり、あとの人は全て太陽が当たる野外という状態です。でも静かに並んでいます。それほど繁盛している様子もなく、静かな雰囲気です。この様な情景が毎日見られました。
病院の外来受付に並ぶブータンの人々
ブータンでは、教育費と医療費が無料です。初等教育から国語はゾンカ語という国の言葉で習いますが、算数、理科、社会、体育など他の全ての授業は英語による授業です。それで子供たちは人懐っこく「ハロー。」というのでした。お店の店員、レストランのウエイトレスからタクシーの運転手までみーんな、英語が通じるのです。
なぜ、英語による授業かというと、国語である「ゾンカ語」はブータンの西の地方の言葉です。その他の地方はネパール語や種々の民族語を話しており、こちらの人はゾンカ語が話せないのです。という訳で、国語以外の授業は英語に統一しているのです。教育は6歳から6年間、日本と同じ初等教育を受けます。18歳までが中等教育です。授業料は全て無料です。その結果、ブータン人はかなり教育レベルの高い国民になっています。
参考ですが、隣国のインドからカースト制度を嫌ってブータンで仕事をしているインド人が多くいます。インドは教育費が「無料」ではありませんので、教育を受けていないインド人がブータンへ来て働く場合は、多くの場合、工事現場の労働者などの賃金の低い仕事に就いているということでした。
第4章 ブータンの産業、外貨獲得策の切手製造
第5代ワンチュク国王夫妻が写った切手シート
ブータンの現在の外貨獲得策は、観光と水力発電です。観光目的でブータンへの入国はビザが必要です。ビサを申請するとブータン国は1日250ドルの観光料金を請求します。例えば、3泊4日ですと1,000ドル用意しなければ入国できません。しかし、ホテル、マイクロバスが指定され主な観光地を案内していただけます。したがって、頭ボサボサ、ヒッチハイク的、無銭旅行の一人旅は出来ません。そのため、年齢の若い観光客はいません。すべてマイクロバスで観光地から観光地へ移動するので、街中では観光客と会うことも、ほとんどありません。私は、豚児の親ということで特別にビサの取得が出来ました。ブータンへ赴任している人の配偶者、子供、親は特別にビサの取得が出来て250ドルを払うことなく入国出来るのです(ほんとに、我が豚児の御蔭です)。そして、街中を気ままに散策できました。とは言うものの、街は谷底に広がっているため坂が多く、2,500~3,000mの高地ですから、少し進むと息切れがして、何度も、何度も小休止してしまいます(決して歳のせいではありません)。
水力発電はヒマラヤ山脈からほとばしる豊富な水で小さな発電所をいくつも建設し、発電します。そしてインドなどへ売電するのです。
首都ティンプーの遠望 (お経を書いた旗(経文旗:ダルシン)がたなびく)
十数年前まで、ブータンは鎖国状態でした。観光で人を入国させないのです。水力発電の技術もない時代、ブータンは切手製造で外貨を稼いでいたのです。その名残でしょうか、切手博物館が首都ティンプーの中央郵便局内に設置されていました。世界中の切手を製造していた歴史が分りました。
私も、日本に関係する切手を買いました。また、「今ここで、オリジナル切手シートを製造します。」と言う案内板がありました。もちろん、悔しいが、我が豚児が看板を読んで教えてくれました。オリジナル切手シートは、切手の部分にデジカメで撮った写真を乗せてくれるのです。私たち2人は、その場でカメラに収まりその場で切手を作成していただきました。
私の事務所に訪問する人に、この切手シートをお見せますと、ほとんどの人が、一瞬、『帽子をかぶり、リラックスしたワンチュク国王とそのお妃』と見ます。そして、私が、「よく見てくださいよ。」と言うと、しばらくして、やっと私たちであることがわかるのです。そして、「なぁ~んだ。」と言いつつも、
A氏:「老眼が進んでいるので、見間違えました。」
B氏:「暗い場所で見ているので、見間違えました。」
C嬢:「二人が国王と同じように左右並んでいるので、ごまかされました。」
D夫人:「この切手、ホンモノですか?」
『国王とお妃そっくり、身のこなし方から品格までも、間違いなく、国王ご夫妻と見えました。』と言う人は、一人としていませんでした。全く1人も・・・。
第5章 野菜市場にて
首都ティンプーには、『王政百周年記念市場』という、名前を聞いただけで『凄い』という市場がありました。土曜日と日曜日だけ開かれる市場です。早速、我が豚児に案内してもらって市場見学をしました。商品として並んでいるのは、小粒なジャガイモ、チンチクリンなアスパラガス、再利用のペットボトルに入ったチーズミルク、一日中しゃぶっていても溶けて無くならない干しチーズなどです。しかし、市場をくまなく歩いて、気が付いたのですが、日本の野菜と同じものがかなりあるのです。カボチャ、赤玉ねぎ、キャベツ、トマト、にんにく、キュウリなどです。
その訳はというと、1960年代、日本の人の専門家である西岡京治氏が長きにわたって農業指導を行ってきたのです。日本から種子を持ち込み、商品化できる野菜の栽培を指導したようです。このため、昔からブータンは日本に対して非常に尊敬の念を持っています。つまり、親日的です。
王政100年記念市場の情景(日本の指導で豊かな農産物が並んでいる)
市場は賑やかで、様々な人々がいます。飲食店を経営しているとみられるおばさん。家族で買い物をしている親子連れ、ブータンのお坊さんまでいるのです。お店の人はおばさんがほとんどですが、買っても買わなくても『ニコニコ』しています。息子が英語で「これいくら?」と言って、それきり買わなくても『ニコニコ』、本当に気持ちが良いのです。ブータンは本当に良いところです。
また、ブータンでは『殺生』は厳禁です。豚児のジャイカ・ブータン事務所に「ハエ」が入ってきても誰一人、ハエたたきでハエを殺さないという話を聞きました。軽く叩いて気絶させ、外へ放り投げるのだそうです。市場で売っている魚も同じです。特に『サカナ』は神様のお使いをする生き物でして、川での釣りは出来ません。法律で「魚釣り禁止」と決まっているようです。そのため、魚は、インドから、干し魚として輸入されているのです。殺すのはいけないが食べるのはOKという都合の良い解釈をしています。ブータンらしさが見えています。我が豚児は、チンチクリンのアスパラガスを買いました。30本ほどの束で30ニュルタム(約45円)でした。
そして、秤(ハカリ)ですが、野菜が小さいことに反して、どんぶり勘定のような大まかなメモリのハカリがデンと店の中央に座っていたのが滑稽でした。
第6章 プナカのゾンと寺院
ブータンの主な都市には必ず『ゾン』という、日本でいう県庁と寺院が合体した建物があります。行政と宗教の中心なのです。ゾンとは以前、『要塞』という機能を持った建物で、谷全体を見渡せる場所に建てられています。
国王の結婚式が執り行われたプナカのゾンにて
ゾンに入るときは必ず、帽子を脱ぎ、霊験アラタカな気持ちで門をくぐります。中に入ると中庭が2つあり、入ってすぐの庭には、庭の四方に廊下があり、県庁の各課が並んでいます。土木課、教育課、衛生課などの名前が引き戸の上に英語で書いてあります。奥の中庭へ進むと、数人のお坊さんがゆったりと歩いており、奥には奈良の大仏さんのような大きな仏像が安置されています。
これが『ゾン』の大まかな構造です。一般人も入れますが、ティンプーのゾンは午後5時以降でなければ入れないのです。今回、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が、昨年(2011年)秋に結婚式を挙げたプナカという街のゾンを訪ねました。
朝7時に、ティンプーを、例の軽自動車タクシーで出発して例の悪路国道をパロとは逆方向へ、東へ、東へと、ひた走ります、1時間ほど走ると検問所がありました。ブータンでは県境を越えるときは必ず通行許可証を提示するのです。検問所の横には露店が並んでいます。そこでは皆さん小休止して、リンゴ、干しチーズなどを買いお休みします。
再び軽のタクシーで揺られ、揺られて悪戦苦闘、その時、私の携帯電話が鳴りました。
お父さん:「もしもし、坂部です。」
友人A氏:「もしもし、お久しぶりです、友人Aでーす。来週、空いていますか?年度も改まったので、みんなと飲み会をやろうと思ってまーす。いつもの駅前で、いつがいいですかーッ?」
お父さん:「もしもし、今ブータンにいます。ごめん。来週もブータンです。」
友人A氏:「もしもし、え~っ。ブータン? ブータンの何処?」
お父さん:「自動車の中で~す。悪路で悪戦苦闘していま~す。」
県境での検問中に休憩をする観光客
友人A氏は私の状況を聞き出すため、ネホリ・ハホリ聞くのです。その結果、今回の旅行で、NTTからの電話料金は通常の倍である2万円を優に超した請求となってしまいました。どうも、私の方が高額な受信料金を支払うことになったようです。
さて、軽タクシーはどんどん走り、その1時間後に、標高3150mのドチュ・ラ峠に到着です。標高2,000mほどのティンプーから一気に3,000mを超える高さまで進むのは、本当に体に良くないです。足はフラフラ、息切れはする、「酸素がほしい。酸素がほしい。」という心境です。天気の良い日は、ヒマラヤ山脈が綺麗に見える峠ですが、今回はモヤが出てよく見えなかった。残念でした。
再び、軽タクシーはどんどん走り、その後3時間で、目的地のプナカに到着です。標高は1,300mです。おとぎの国に来たような、自然に囲まれた静けさと堂々としたゾンの風格、本当に、1日かけて、ここまで来てよかったという思いでした。言うに言えない感動でした。
プナカ郊外の「世にも恐ろしい吊り橋」
その後、プナカの町はずれの吊り橋を渡る体験をしました。長さが100mを超す吊り橋です。水面まで最も低いところで20~30m、針金(ワイヤー)で渡し、金網をかけて歩けるようにしているだけです。恐る恐るわたると、向こう岸には、日用品を売る小さな雑貨店がありました。
プナカの最後の訪問地は「チミ・ラカン」でした。ラカンとは寺院という意味です。広大な棚田の広がる村落を見下ろす場所に、こじんまりと建っている寺院です。お経を書いた旗(経文旗:ダルシン)がたなびき、時空を超えた趣がありました。
第7章 豚児のブータン生活
豚児は、首都ティンプーのほぼ中心部に住んでいました。ところが、なんと、息子の下宿は『外務大臣公邸』なのでした。ビックリ仰天、これどうなってるの?という驚きでした。息子は、外務大臣を「おおやさん」と言っていました。正門の左右入口には自動小銃を持った軍人が2人が常時、門番をしています。
ブータンのコンビニ『エイト・イレブン』ほとんどの食材、日用品雑貨が買える
その生活ですが、大変な状況です。まず、水道水はいったん沸騰させなければいけません。原虫がいるのです。お風呂も「口をふさいで呼吸をせず一気に」といった具合で、何だかお風呂に入った気がしませんでした。歯磨きはミネラル・ウォータ、食器洗いはよく乾かさないと原虫が生きているなどコマゴマと注意を受けました。(ああ~、疲れた。)
第8章 ブータンの街と食事
息子は、仕事で毎日出勤です。私たちは2人取り残されています。外務大臣公邸から街へ出るときは、兵隊さんに、にっこり笑顔を作り、「SANPO、SANPO」と言って門を出ます。そして2人で街を歩きながら、織物博物館の見学、コンビニをのぞくなどしました。会う人会う人みんなニコニコして挨拶をします。カメラを向けると、大人も子供も間違いなく、ニコッとします。
食事は料理は辛子とチーズ、ヨーグルトを基本にした味付けでした。辛さを我慢すれば美味しいものです。ほうとうのような太いうどん、インディカ米のピラフ、カレーの汁、シュウマイ風のもの、結構食べられます。
インディカ米のピラフ、シュウマイとラーメン風ブータン料理
しかし、ティンプーから少し離れると、骨付き干し肉、強烈なカレーなど初体験の料理ばかりです。私は美味しいと思いましたが、女房はちょっと悪戦苦闘していました。
第9章 おわりに
まだまだお話ししたいことは山ほどありますが、残念ながらここらで終わります。この続きは、坂部環境技術事務所でブータンのお茶を飲みながらお話しすることと致します。安城近くへお越しの節は、ぜひ坂部環境技術事務所へお立ち寄りください。お待ち致しております。
パロのツェチュのクライマックス『曼荼羅のご開帳』(午前3時より日の出まで)
ブータンは、本当に良いところです。自然豊かで、人々の笑顔が親しみを増します。ぜひ皆様も、ブータンへの旅をお勧めします。
なお、他にもたくさんの写真を撮ってきました。「もっと見る。」、をご希望の方は、
写真集『ブータン編』をご覧あれ!
おわり
それではごきげんよう。さようなら。
ブータンより愛をこめて、坂部孝夫拝